わたしは、こんなことのために、うまれてきたのか?
わたしは、こんなことのために、しぬのか?
「こんなことのために」なんて、とても ごうまんな きも するけど
きっと、だれもが いちどは おもったことが ある。
まいにち、だれかのために、つくして せわを して いきている とき、
まいにち、なにかのために、あくせく はたらいている とき、
なんのために やっているのか、みうしなう ときが ある。
あるいは、「なんのため」に あたるものに、かちを みいだせない ときも、ある。
でも、みんな それを わすれていってしまう。
ぼくと かかわる とき、ひとと かかわる とき、いつのまにか それを わすれている。
ひびを いそがしなく いきる とき、たのしい できごとに こころおどる とき、それを わすれている。
まるで、あくむを みても、あさ おきれば すぐに ゆめの ないようを おもいだせなくなってしまうように。
でも、その あくむの ほうが げんじつで、わすれて こうふくで いることが げんそうだったとしたら?
わたしは、こんなことのために、うまれてきたのか。
この いわかんを、ふあんを、わすれることが ただしいと、だれが いったんだっけ?
ひびを いきるために、こうふくで いるために、わすれさせられている、たいせつな とい。
もう、おもいだすことも なくなってしまった、たいせつな とい。
もう、おもいだしても、その いみを だれも りかいできなくなってしまった、たいせつな とい。