ほんとうに たいせつなことは そんなことじゃ ないはずだ。
みんな いったい なんの はなしを しているんだ!?
だれも いきる いみについて、いきるに あたいする じんせいについて、
なんのために いきるのかについて、なんのために しぬのかについて、
まったく はなしを していないじゃないか。
そのといを のりこえたのなら わかる。
そのなやみを すでに のりこえたのなら わかる。
でも だれひとりとして、のりこえた ひとは まわりに いない。
いるのは、ぼうきゃくという ズルを した にんげんばかりだ。
むきあわずに、さきおくりに しているだけだ。
それについて かんがえるのを やめることが ただしいと、
それを しょうめいもせずに、いつのまにか わすれてしまう。
そして、ぼうきゃくによって じしんの ざせつすらも にんしきしなくなった あとで、
さも さとった ふうに、しゃかいで うまく たちまわる ちえを さとしはじめる。
どう いきるべきかを かんがえずに、どう いきれば らくかを、とくかを、かんがえはじめる。
あまつさえ、それを とくいげに ひとに おしえはじめる。
いったい なんなんだ!?
みんな いったい なんの はなしを しているんだ!?
なにもかもが うそだ。なにもかもが、おおいかくされている。
そんな いきかたを、にんげんと よべるのか?
そんな いきかたを して、まともに しねると おもうのか?
どうしてなんだ。
いったい、どうして。