とおい あこがれが ある。
ことばに すら できないような、すうこうな なにかが ある。
ちを はって、どろを かぶりながら、ながめる ほしが ある。
「しょせん、この どろぬまの なかで いきていくしかないんだよ」
そんな まけいぬの れんたいに いきがいを みいだすなんて ごめんだ。
すっぱい ぶどうの いみすらも しらないで、
みずからの かんかく を きりつめて こうふくを みいだす。
「ささいなことに こうふくを みいだそう」
「みかたを かえれば、わるいものも いいものに みえる」
そんな ひびを くりかえすのは じごくの せいとうかだ。
ひとりの にんげんとして、じんせいを ほうきしているし
どうじに それは、しゃかいてきな せきにんの ほうきだ。
いのちは、もやさなければ くさってしまうのに。
いのちを もやすことが、いきてるってことなのに。
ただ、ひびを なにかの しょうひに つかってしまうのか?
だれかの りえきのために、だれかに にんじんを つるされて
それを おいつづけるのか?
そんなの いきている いみが ない。