何者かになりたい、さもなくば死にたい。
以前、そういったタイトルのこうこうログを書いた。
「何者か」にはどうしたらなれるのか、その完全に論理的な説明。
そこでは、ただその時の自分の叫びを書いただけだった。
でも、旅を進める中で、ただ僕の叫びを記録するだけじゃなくて
理不尽な言葉たちの構造を明確にして、解体する必要性を感じるようになった。
「何者かになりたい」といった動機は
本人にも、その欲求がなんであるのか、明確に言語化することが難しい。
そして、言語化が難しいがために、人に理解してもらうことも難しい。
「理解できないことが、そいつが人間として生きていないことの証明だ」
とでも言いたくなるけれど、理解できない人の方が多数なのだから
多数決で潰されるのは、目に見えている。
だから、「何者かになりたい」とはなんなのか?
どうしたら、何者かになれるのか?
それを、完全に明晰な形で言語化してログを残そうと思う。
そうすれば、「何者かになりたい」人にとって
他人の理不尽な言葉へ反論するためのロジックになりうるから。
そうすれば、「何者かにならなくていい」なんて言葉に
煩わされることも、なくなるだろうから。
これから書き記すことは、
「何者かになりたい」人にとって唯一無二の武器になる。
まず、「何者かになりたい」
この渇望を明確に理解することから始める。
そして、その分析だけで実は十分なことも、後でわかるだろう。
「何者かになりたい」
この言葉は「何者か」「〜になりたい」と2つの部分に分けられる。
そして文章全体としては、「欲求の表明」と理解できる。
「ある理想の状態があり、それを実現したい」
ということだ。
そしてそれに対する答えは一般的に以下の通りだ。
①理想状態と現状を定義
②理想と現実のギャップを認識
③ギャップを埋める行動をとる
これで、理想状態を実現できる。
だから通常、
「宇宙飛行士になりたい」とか
「ピアニストになりたい」などといった時には
「じゃあそのために勉強しよう」とか
「ピアノの教室に通おう」といった話になる。
では、「何者かになりたい」場合はどうするのか?
この問いが理解されないのは、まさにここだ。
「何者か」は定義されていない。
何かになりたいといっておきながら、
その何かが定義されていない。
理想の状態が定義されていないのだから、
そもそも達成しようがない。
「目指すところがないのに、そこにどうやって到達するのか?」
これは至極真っ当な疑問と言える。
だからこそ、
「何者かになりたいって、何になりたいの?」
といった質問が出るし、それにフラストレーションも溜まることになる。
ここまでの話を聞くと
「何者かになりたい」という欲求に対する
至極真っ当とも言えるような、否定的反応を帰結することになるわけだが、
しかし、これこそが、
この至極当たり前に見える論理こそが、
全くの理解不足による理不尽であり、ナンセンスであることをこれから示していく。
言葉の分析にもどろう。
「何者かになりたい」
この言葉は、何になりたいのか、
その理想の状態が定義されていない言葉だった。
しかし定義されてないものを、逆に定義していく方法がある。
否定の連言だ。
「私がなりたいのは宇宙飛行士でもなく、ピアニストでもなく、
プログラマでもなく、、、、」
何になりたいのかわからないということは、
その人の知っている概念の中にはなりたいものがないということだ。
つまり、否定の連言を無限に続けていくことになる。
では、「何者かになりたい」という欲求を持つことは間違っているのか?
違う。それは明確に誤りだ。
もしそれが正しければ、
最初のピアニストは、どうやってピアニストになったのか?
最初の宇宙飛行士は、どうやって宇宙飛行士になったのか?
先になりたい状態を定義する概念が必要なら
なぜ言葉を持たない動物から、人間になり
そしてあらゆる仕事や職業、その他のものを生み出したのか?
本当に新しいもの
本当にオリジナリティのあるもの
本当にクリエイティブなもの
それは、まだ名前がついていないに決まっている。
できた後に、名前がついて、誰かが「それになりたい」と言う。
だから、
「何者かになりたい」とは
「未だ存在しない何かになりたい」ことであり
本当にオリジナリティのある、本当にクリエイティブになることへの渇望の表明だ。
だから、「何者かになりたい」、であり、否定の連言で構わないわけだ。
逆に、もしそれを否定してしまったら、
世界がすでに存在しているものになりたい人で溢れたら、
本当に新しいものは、生まれなくなってしまう。
だから、
まだ見ぬ何かを求めること。
未だ存在しない何かを求めること。
「何者かになりたい」こと。
それは、それ自体として肯定されるわけだ。
それは、諦めなければいけないような、何かではないということだ。
そして「何者かになる」ためにはどうすれば良いのか?
それもここから自ずと理解できる。
それは、
未だ存在しないものを作ること
本当のオリジナリティであり、
本当のクリエイティビティを発揮することだ。
それは、
何かをすることであり
何かを作ることであり
自分を作ることであり
自分の人生を作ることだ。
何も定義されていないけど、それでいい。
苦悩が伴っても、孤独になっても、それでいい。
ただ、自らの存在意義をかけて、したいことをするだけだ。
これで、「何者かになりたい」という欲求をめぐる
無理解で理不尽な言葉への耐性が手に入ったはずだ。
最後に
「じゃあ、具体的には、どのように生きればいいのか?」
そのヒントについて書き記して、今回のログを締めくくろうと思う。
また、今回のテーマについては、本当に話すべき重要なことがたくさんある。
一度に全て書くことはできないから、これからのこうこうログも見て欲しい。
必ず、ヒントがあるはずだから。